組織の情報共有に関してトランザクティブメモリーという考え方があります。「交換記憶」や「対人交流記憶」と日本語に訳され、組織のパフォーマンスに大きな影響を与えるとされています。
組織学習という学術研究からビジネス分野で使われるようになった言葉であることから、直感的に理解することが少し難しいキーワードです。
その考え方を理解するための前提となる知識や実証研究の結果を踏まえながら、トランザクティブメモリーについて解説します。
トランザクティブメモリーとは?
トランザクティブメモリーの重要性
トランザクティブメモリー要素とその効果
トランザクティブメモリーで重要な対面コミュニケーション
まとめ
トランザクティブメモリーとは、組織に所属するメンバー一人ひとりがどんな専門性を持ち、どんなことを知っているかをメンバーそれぞれが認識している状態を指します。メンバー全員の持つ知識を連携させることにより、生産性を高めることにつなげようとする組織学習における考え方の一つです。
他のメンバーの「だれが何を知っているか」を自分が「わかっている」というのがトランザクティブメモリーのコンセプトです。しかし、「知っている」「わかっている」ということが何を指すか理解するためには、組織学習について知ることが必要です。
組織学習というのは、組織論(経営学の一種。組織とは何かについて、様々な学問を用いて議論するもの)における一分野で、組織が新たな知識や価値観を獲得するプロセスそのものを指します。
ビジネス環境が変化する中で、組織のメンバーである個人の行動と組織全体の行動が影響し合いながら変化していくことをテーマとする学問領域です。
組織学習の「学習」という言葉は、業務知識や仕事のノウハウを学ぶこととイコールではありません。個々のメンバーに業務上必要とされる情報に加えて、手続きや規則などの制度面や、組織の中で信じられている価値観や信念が繰り返される行動として定着することが、組織の「学習」する中身ということになります。
例えば、ある部署でなんらかの課題解決のための行動が成果を上げ、業績が向上するという体験を得られたとします。そのことによって、部署のメンバーは、次に新しい課題に直面した時に、前と同様な行動パターンで新しい課題を解決しようとすることが想定されます。
このときに、メンバーに定着した考え方や行動パターンが、この部署が組織として学習したものです。
これとは反対に、制度的な制約や個人・部署間のパワーバランスの存在など何らかの要因によって、課題解決をしようというメンバーのインセンティブが働かなくなるといったことも起こりえます。このようなケースではマイナスの学習効果が働いたということになります。
組織学習における情報的経営資源の獲得・蓄積・活用という点において、ナレッジマネジメントが良く知られています。
1980年代後半、グローバル化が進展する中で知的資源が競争優位の源泉であるという考え方が広まり、多くの企業が情報システムを活用しながら知的資産の共有に取り組んできました。
トランザクティブメモリーも同じ時期にアメリカの社会心理学のダニエル・ウェグナー氏によって提唱されました。
日本では2012年に経済学者入山章栄氏が著書『世界の経営学者はいまなにを考えているのか』の中で紹介したことをきっかけとして、イノベーションやアントレプレナーシップ、チームの概念といった文脈の中で注目されるようになったキーワードと言えます。
トランザクティブメモリーがナレッジマネジメントと異なるのは、情報を共有するための方法論ではないという点です。
ナレッジマネジメントは組織の持つ知識を暗黙知(個人の経験やノウハウ)と形式知(マニュアルやデータなど言語化されたもの)に分け、それを共有しながら相互作用を生み出すことで知的資源を強化しようとするものです。
一方、トランザクティブメモリーは知識そのものを共有するわけではありません。誰がどんな役割と専門性を持っているかを相互に理解し、必要な時にその専門性を活用できる組織文化を醸成し、組織が持つ知的資源を極大化できるという考え方を言います。
トランザクティブメモリーに関するダニエル・ウェグナー氏の初期の研究では、カップルを被験者とした実証的な研究が行われています。
実験はカップルである男女が、いくつかのジャンルの文章を各人で選び、その文章を読んでから一定時間経った後に文章中に出てきた単語を書き出す、という記憶テストです。回答できた数はカップルごとに集計され、それがカップルの成績ということになります。
ジャンルの選択、文章を読む時と回答する時は、いずれもカップルの男女それぞれが一人ずつで行い、二人で相談することは禁止するというルールを設定。カップルは「実際に交際しているカップル」「即席のカップル」、また「記憶する文章のジャンルを自ら選択するグループ」と「運営側から指定されたグループ」、という対照実験でした。
(本物カップル:即席カップル)✕(ジャンルを自ら選択:ジャンルを指定される)の4つのグループについて成績を比較したところ、本物カップルと即席カップルでは本物カップルの成績が良く、ジャンルを指定された場合には即席カップルの成績が良いという結果が示されています。
研究結果が示唆しているのは、相談してジャンルを選択していないにも関わらず、本物カップルは互いの得意分野を暗黙のうちによく理解しているということです。
そのため、カップルのそれぞれが最も高得点を狙えるジャンルを自然に選択する結果となり、2人合わせたパフォーマンスが高くなったということが考えられます。
この研究以降、トランザクティブメモリーの概念を組織へ応用することを主眼に置き、多くの研究者がトランザクティブメモリーの実証研究を行っています。
組織全体で保有する知識を増やし、最大限活用するための取り組みであるナレッジマネジメントは、グループウェア等の情報システムを活用する方法でした仕組みづくりというやり方で、大企業を中心に発達してきました。
情報システムが整備されることで、個々のメンバーが共有できる情報は飛躍的に増えました。しかし、共有した情報を実践で活かす方法や、蓄積した情報を知的資源として問題解決やイノベーションに発展させる方法については、「共有すること」をベースとした考え方だけではカバーしきれないことが認識されてきています。
そもそも、共有可能な情報量がいくら増えても、個人が覚えることができる情報量には限りがあります。共有された同じ情報を持つ個人の集団と、それぞれに専門性を持った個人の集団では後者の知識量の総和が大きいことは明らかでしょう。
サプライチェーンのグローバル化や急速に進む産業構造の変化、多様な働き方への要請など、企業を取り巻く外部環境は複雑化しています。
そのため、組織における知的資源の活かし方についても、より高度なものが求められる時代に。そのため、企業のスピーディーな対応は急務だと言えるでしょう。
VUCA※といわれる先の見通せない時代のなかで、既に共有された情報を自ら活用するだけでは及ばない問題を解決できる知識や、イノベーションにつながる幅広い分野における専門性の高い知識を持って成果へとつなげることこそが、トランザクティブメモリーの根底にある考え方です。
※VUCA:Volatility・Uncertainty・Complexity・Ambiguityの略。「予測不可能」という意味を指す。2016年の世界経済フォーラム(ダボス会議)で、今の時代を象徴するキーワードとして使われたもの。
トランザクティブメモリーのコンセプトを確立したダニエル・ウェグナー氏のカップルを対象とした研究を紹介しましたが、チームや組織を対象とした実証研究も数多く行われています。海外に限らず国内の研究者からもトランザクティブメモリーの有効性を支持する研究結果が発表されています。
前出の入山氏は、トランザクティブメモリーに関するカリフォルニア大学サンタバーバラ校のカイル・ルイス氏の研究を紹介しています。
この研究はトランザクティブメモリーの高さとチームのパフォーマンスを指数化し、その関係性を調べるもので、トランザクティブメモリーの高いチームのパフォーマンスが高いという結果が得られています。
日本では福岡大学の社会心理学者縄田健悟氏が「対人交流記憶システムに基づく暗黙の協調」という論文のなかで、日常的コミュニケーションとトランザクティブメモリーは関係しており、それがチームの連携を促すことで高い成果につながることが検証されています。
さまざまな研究結果により、トランザクティブメモリーが集団のパフォーマンスを高めることが示唆されており、組織に応用することへの関心が高まっています。
トランザクティブメモリー(TM)は「誰が何を知っているか」についての個人の記憶を指します。それに対し「誰が何を知っているか」を集団で共有する記憶システムとする概念をトランザクティブメモリーシステム(TMS)として、組織やチームへの有効性を検証する研究が行われています。
先にあげたカイル・ルイス氏の研究もその一例ですが、彼女はトランザクティブメモリーシステム(TMS)を測る要素として3つの要素をあげています。
● 専門化:メンバーがそれぞれの異なる専門性を持っている
● 信頼性:メンバーそれぞれが互いに信頼している
● 調整:メンバーが効果的に連携できるように調整される
「専門性」は、同じ知識を持つ個人の集団では意味を成さず、知識を共有するメンバーにはさまざまな領域の専門性を持っていることが前提となります。
「信頼性」は、求める知識、専門性を持つ最適なメンバーを特定でき、その専門的な知識を信頼できることを。「調整」は、連携を行う際に誤解がなく、相互補完的な役割分担で知識のやりとりをスムーズに行えることです。
トランザクティブメモリーを組織・チームで活かすことを考える場合、これらの要素に着目する必要があることが各種研究で示されています。
トランザクティブメモリーに関するいくつかの研究で共通して指摘されているのが、トランザクティブメモリーシステムにおける対面コミュニケーションの重要性です。
実証研究の例として最初にあげた、トランザクティブメモリーの提唱者であるダニエル・ウェグナー氏のカップルの研究では、十分な対面コミュニケーションが存在するであろう実際に交際しているカップルで、トランザクティブメモリーが効果的に働くとしています。
カイル・ルイス氏の研究では、トランザクティブメモリーを高めるコミュニケーションの方法として、対面コミュニケーションとメール・電話によるコミュニケーションのどちらが効果的かを比較しました。
対面コミュニケーションがトランザクティブメモリーシステムにおいて効果的であると検証され、メール・電話によるコミュニケーションはマイナスの効果をもたらす可能性がある、という結果が示されたことは注目すべきところでしょう。
同様の研究として多く引用されるのが、南カリフォルニア大学のマーサ・ホリングスヘッド氏の研究です。
カップルを被験者として次の3つの対照群が比較されました。
① 対面・口頭でのコミュニケーションを行うケース
② 顔が見えず口頭でのみコミュニケーションを行うケース
③ 対面のコミュニケーションで口頭でのやりとりを禁止されたケース
トランザクティブメモリーが最も高かったのは①であるという結果には納得感があるものの、最も低かったのが②であるという結果には意外性が感じられます。
しかし、カイル・ルイス氏の研究結果のメール・電話によるコミュニケーションがトランザクティブメモリーにとってはマイナスの効果をもたらすことと符合していることは着目すべき点でしょう。
対面コミュニケーションでは、顔の表情や目線、体の動きや姿勢となど、言葉以外のさまざまな要素が存在しています。この言葉以外の情報量がコミュニケーションの本質に関わっているのではないかということが、この理由として挙げられています。
コロナ禍でリモートでのワークスタイルが急激に増加したなかで、直接対面するコミュニケーションを重要視するトランザクティブメモリーの考え方は相反するものとなります。
しかし、コミュニケーションの方法が組織のパフォーマンスに影響するというトランザクティブメモリーの考え方は、組織づくりを行う上で一つの視点を提供するものとなるでしょう。今後、さらなる実証研究や企業組織への応用事例が出てくることが期待されます。
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